【ハナペンマンのゲーム日記】その22 『MLBⓇThe Show™ 20』(英語版)で、初めて知った、背番号「42番」の話

2021-01-04MLB THE SHOW 20,ハナペンマンのゲーム日記,家庭用ゲーム

 ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)から発売されているメジャーリーグをテーマにした野球ゲーム『MLBⓇThe Show™ 20』(英語版)をプレイしていて、この前驚いたことがありました。

MLB(R) The Show(TM) 20

 あれ、俺(ゲーム内の分身のピッチャー、KATO(ケイトウ)投手のこと)って今年から新しいチームにトレードに出されたけど、背番号42だったっけ? あれ? おかしいなあ…って思っていたら、対戦するバッターも42番、そこまではいいとして、その次のバッターも42番、そのまた次のバッターも42番? あれ、ウチのチームの守ってる選手も全員42番だっ!! 今日はそういう日だったのか!? っていうことがありました。

MLB(R) The Show(TM) 20
MLB(R) The Show(TM) 20

 調べてみたら、MLBでは、毎年4月15日に、全選手が背番号「42」をつけて試合をするジャッキー・ロビンソン・デーが行われていることがわかりました。

 ジャッキー・ロビンソンというのは、まだまだ人種差別が当たり前にあった時代、1947年ブルックリン・ドジャーズ(現ロサンゼルス・ドジャース)にアフリカ系アメリカ人として、逆境の中、メジャーリーグの選手となり、内野手・打者として活躍し、その後の世の中に大きな影響を与えた、偉大な選手です。(自分は、ジャッキー・ロビンソン選手が黒人選手初のMLB選手かと思っていましたが、じつは、歴史を紐解くと、1884年にメジャーでプレイしたモーゼス・フリート・ウォーカー選手が最初で、ジャッキー・ロビンソン選手は、1890年頃以降有色人種排除の方針が確立した”近代メジャーリーグ”では”初”ということなのだそうです<詳細は後述>)

ジャッキー・ロビンソン選手について

 1919年1月31日、アメリカ・ジョージア州で生まれる。祖父は、アフリカから連れてこられた奴隷だった。 

 学生時代からアメリカン・フットボール、バスケット、野球、陸上などで活躍し、多数の大学から奨学金を提示されるが、UCLAに進学。が、黒人にとって学問が役に立たないと考え、退学。その後軍人生活を経て、1945年にニグロ・リーグのカンザスシティ・モナークスに入団。ニグロ・リーグで大活躍を収め、ブルックリン・ドジャース会長、ブランチ・リッキーに誘われ、モントリオール・ロイヤルズに入団する。

 1946年4月18日、ロビンソンは、インターナショナル・リーグで黒人選手として57年ぶりに打席に立ち、この年打率.349113打点というリーグ1位の記録を残した。

 翌年の1947年4月10日、ブルックリン・ドジャースは、前年大活躍をしたロビンソンを、AAAのモントリオール・ロイヤルズからメジャー(ドジャース)に昇格させると発表。5日後、4月15日の開幕戦にロビンソンが実際に出場すると、多くの黒人たちがロビンソンを一目見ようと詰めかけ、観客の半数以上は黒人たちだったという。

 が、当時、MLBのオーナー会議ではドジャースを除く15球団がロビンソンのメジャーリーグでのプレイに反対していて、フィラデルフィア・フィリーズやセントルイス・カージナルスは、ロビンソンが出場するなら対戦を拒否するなどと通告していた。

 そんな中、ハッピー・チャンドラー コミッショナーはドジャースを支持し、フォード・フリック ナショナルリーグ会長も、対戦を拒否したら、出場停止処分を課すと発表。またドジャースのレオ・ドローチャー監督は「肌の色が何色だろうと優秀な選手なら使う。自分に反対する者がいたら、チームを出ていってほしい」と発言していた。(余談ですが、このあたりの、世間が何を言おうと、正しいことは正しいという判断を貫くことができる、責任者やリーダーがアメリカにはおり、そういう人たちが新しい時代を切り開いてきたということも痛感します。リーダーの仕事とは、まさにそういうことではないか、とも思います。ブランチ・リッキーは明確な未来への意思を持って時代を切り開いたけど、コミッショナーのハッピー・チャンドラーもまさにリーダーとして正しい判断をしていますよね)

 そもそも、ブルックリン・ドジャースのブランチ・リッキー会長は、優秀な選手を探していて、ニグロ・リーグにいたロビンソンを球団に誘う際に、ロビンソンに「やり返さない勇気を持つ」ことを求め、「君はこれまで誰もやっていかなった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレイヤーであるばかり、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持て」と話したという。(追記:このエピソードは、後で紹介する映画『42 ~世界を変えた男~』でも重要なシーン、テーマとして描かれています)

 そして、ロビンソンは、シーズンを通じて活躍する一方、紳士的にふるまい、徐々にチームメイトや記者たちにも認められるようになり、選手としても、打率.29712本塁打48打点29盗塁という成績を残し、チームの優勝に貢献。かつ、この年に制定されたばかりの新人賞を獲得。また、その2年後の1949年には203安打を放ち、打率.34216本塁打37盗塁を記録した。その後も、通算6年連続3割以上の打率を残し、10年間のメジャーリーグ選手生活で、MVP1回首位打者1回盗塁王2回を獲得し、オールスターゲーム6回も選出された。

 また、1955年には自己最低の成績ながら、ワールドシリーズでニューヨーク・ヤンキースを倒し、ワールドチャンピオンチームの一員になったのち、翌年シーズン終了後、ジャイアンツへの移籍の話を断り、現役を引退した。

 ロビンソンは、メジャーリーグに大きな足跡を残す一方、引退後はニューヨークの老舗コーヒーショップチェーン”チョック・フル・オー・ナッツ”の副社長や、全米黒人地位向上協会(NAACP)の自由基金運動の議長にも就任するなど、黒人の地位向上にも努めた。また、1962年には、資格を得た初年度に野球殿堂入りを果たしている。

背番号42とジャッキー・ロビンソン・デーの話

 引退後、ジャッキー・ロビンソンは持病の糖尿病などが悪化し、53歳の若さでこの世を去る。が、彼のメジャーデビュー50周年となる、1997年4月15日に、ジャッキー・ロビンソンが背負っていた背番号「42」は、メジャーリーグ全体で永久欠番となり、2004年4月15日にMLBはこの日を”ジャッキー・ロビンソン・デー”と制定した。

 2007年のジャッキー・ロビンソン・デーでは、ケン・グリフィー・ジュニアの提案により、希望する選手全員が背番号42の付いたユニフォームで試合に出場。その後、2009年のロビンソン・デーでは、すべての選手、コーチ、監督が42番のユニフォームを着用して、試合に出場することとなった。

 メジャーリーグでは、2013年にヤンキースの守護神だった、マリアノ・リベラ投手が引退して以来、「42」を背負う選手は存在していない。が、 じつは、日本のプロ野球界では、MLBでは着用することができない「42」を着用している外国人選手が多い。

 2020年時点では、ロッテのフランク・ハーマン投手、オリックスのアデルリン・ロドリゲス選手、ジャイアンツのクリストファー・メルセデス投手、阪神のジョン・エドワーズ投手、中日のソイロ・アルモンテ選手などが42番をつけている。

 また、以前にも、西武で年間50本塁打を放つなど大活躍をしたアレックス・カブレラや、ソフトバンクやロッテで活躍したパナマ出身の強打者ズレータ、中日・横浜などホームラン王や首位打者にも輝いたブランコなど、42番をつけていた選手は多い。横浜のエスコバー投手も2017年には着用していた。巨人で活躍したゲレーロ選手も、中日時代42番をつけていた。

 なお、最後のMLBの背番号42を背負っていたリベラ投手は、背番号42について、雑誌ナンバーの取材に対して、

「最初はメジャー昇格したときに渡された背番号でしかなかった。とにかく自分の仕事を全うすることだけしか考えていなかった。それから時を経てジャッキー・ロビンソンという存在を知ることになり、42番をもらったことに感謝するようになり、そしてこの番号をずっと使用したいと思うようになった。

 ロビンソンは自分も含めたマイノリティの代表だった。その歴史的意味を理解しているだけに、42番という背番号を使用することは光栄であると同時にチャレンジでもある。もちろん自分から42番を望んだわけではないが、今では自分1人がその番号を使用しているという他の選手には味わえないプレッシャーがある」

 と答えているそうだ。

 背番号「42」は、国境を越えて、とても大きな意味を持つ数字となっている。

 なお、ブルックリン・ドジャースの監督で、ジャッキー・ロビンソンのMLBデビューを後押ししていたレオ・ドローチャー監督は、ロビンソンの背番号を「42」にしたことについて

「42は生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えだから」

 と答えているが、このフレーズは、イギリスの脚本家ダグラス・アダムスが書いた、いわゆるスラップスティックSFの名作(とされている)『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくるフレーズで、欧米を中心としたSF文学界ではこの「42」という数字は有名で、さまざまな論考が存在する。

 なお、ドローチャー監督自身は、実際の1947年のシーズンは、シーズン開幕前に行方不明になっており(新進女優のラレイン・デイと駆け落ちしていたのこと)、その後コミッショナーから「1947年度の出場停止」という処分を受けていた、ということも驚きだ。

 とはいえ、このドローチャー監督は、ドジャースを始め、ヤンキース、カブスなどの監督を長年にわたり務め、ワールドシリーズ制覇や年間最優秀監督賞を3度受賞している。

 また、当時71歳になっていた1976年には、太平洋クラブライオンズがドローチャー監督を招聘・契約したが、病気のため、結局来日できずに終わっている。日本のプロ野球界に大いに関わる可能性もあった、名物監督だった。

 

ロビンソンの伝記映画、映画「42 ~世界を変えた男~」

 こちらの映画では、ジャッキー・ロビンソン選手の生涯とそれを支えた妻や、関係者たちがドラマチックに描かれているようです。(速攻で、ブルーレイを買ってしまいました!) なんで、観てなかったんだろう…。

(追記 2020/08/27)

ブルーレイ、届きました!

「42~世界を変えた男~」ブルーレイ版。メイキングや特典映像も、すごくよかったです。おススメ!


 早速ブルーレイで映画「42 ~世界を変えた男~」観ました! 未来を作る勇気、現実を変えていく力について考えさせられる、すばらしい作品でした。そして、ロビンソンによってチームが変わっていく様も、感動的でした。と同時に、野球やスポーツの本質的な魅力も描かれていて、野球シーンもかなり練習を積んだ上に、カメラワークも凝っており、野球映画としてもよかったです。

 また、俳優陣でも、主役のジャッキー・ロビンソンを演じたチャドウィック・ボーズマンはもちろん、ロビンソン夫人役のニコール・ベハーリーも素晴らしく、また、夫婦愛や夫をサポートする夫人の姿もしっかり描かれていました。一方、じつは、本当の主役は彼だったのではないか? と思われる役どころの、ドジャースのオーナー、ブランチ・リッキーを演じたハリソン・フォードが本当に素晴らしかった。メイキング映像では、あのハンク・アーロン(!)が(往年のリッキーに)「そっくりだ!」と絶賛していました。そして、真のリーダーのあるべき姿、未来を変えていく勇気というものを、しっかり教えてくれる作品でした。俺、大絶賛中です。まじめに、おススメします! 野球好きじゃなくても、ちゃんと楽しめる、素晴らしい映画です。

 ちなみに、監督のブライアン・へゲルランドは、『ミスティック・リバー』、『ボーン・スプレマシー』の脚本、『L.A.コンフィデンシャル』の共同制作・脚本なども手掛けている、脚本家としても有名です。

(追記、ここまで)

モーゼス・フリート・ウォーカー選手 とは…?

 1857年10月7日、アメリカ・オハイオ州生まれ。弟のウェルディ・ウォーカーとともに、メジャーリーグで初めてプレイしたアフリカ系アメリカ人とされている、とのこと。

 マウントプレゼント初の黒人医師のモーゼス・W・ウォーカーと白人女性の間に生まれ、1878年オーバリン大学、そののち(1882年)ミシガン大学に進み、大学でも野球をしていたが、1883年当時マイナーのノースウエスタン・リーグに参加していたトレド・ブルーストッキングスと契約。

 1884年には、ブルーストッキングスはアメリカ・アソシエーションに加盟し、この年の5月1日試合にウォーカーは試合に出場。これがアフリカ系アメリカ人の、初のメジャーリーグの出場記録となっている。

 なお、ウォーカーはキャッチャーで、シーズン途中でケガをし、その後の試合には出場できなかったが、この年の72のパスボールはリーグ最多だったらしい。

 ブルーストッキングスが破綻した後も、ウォーカーは複数のマイナーの球団でプレイをしていたが、徐々にメジャー、マイナーのリーグで人種的な制約を設けるリーグが増えていき、ウォーカーはそれに追われて、チームを渡り歩くようになっていったという。

 また野球選手を引退したのち、白人の暴漢グループに襲われ、反撃した際に相手を傷つけ、逮捕されてしまう。その後、裁判では正当防衛という主張が認められ、無罪となった。

 また、1908年には、アメリカの住む黒人にアフリカへの移住を勧める内容の冊子を出版。1924年、オハイオ州クリーブランドで死去。

 なお、メジャーリーガーとしての記録は、1884年のみで、42試合に出場し、152打数40安打、本塁打は0、打率.263 だった。

っていうことで、何が言いたかったというと…

 そんな「42」という背番号について、またジャッキー・ロビンソン・デーについても、『MLBⓇThe Show™ 20』(英語版)の中でしっかり再現されている、ということがわかって、個人的にはとても胸アツな気分になりました。

 本当にリアルに作られているので、メジャーリーグについても、またアメリカという国についても、ゲームを遊んで理解が深められたり、そのきっかけになるというのは、なかなか素敵なことではないかな、と思いました。あと、やっぱり野球好き、MLB好きにはぜひとも映画『42 ~世界を変えた男~』は観てほしい、と思いました! いやー、メジャーって、また野球って、本当にいいですね。

 以上です。長々と失礼しました~。

 

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 (続く

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