【訃報】当サイトでもおなじみの元ファミ通編集者でRPGツクール『うまたろうゲンナリン大冒険!』の作者、桃栗たき子氏が急逝… 本人のツイッターアカウントでご家族が報告&その後の不思議な現象も 

2022-05-01NEWS

 とても残念な情報が流れてきました。「元ファミ通編集者の桃栗たき子氏が10月31日午前8時7分に脳幹出血による心停止により逝去された」というのです。

桃栗たき子氏のtwitterアカウントには…

 筆者は、知り合いから「桃栗さんの話、本当ですか?」とかSNSでメッセージが来ていて、え? 何だろう? と思っていましたが、こちらを見ると、どうやら本当のようです。まだまだお若かったし、お元気そうだったので、本当に信じられません…。

 ご家族のご無念を思うと言葉も見つかりません。少なくとも自分がやり取りしていた感覚では、とてもご家族思いのお母さんでした。お子さんたちのことをよく話していました(LINEなどでも)。

 当サイトはハナペンニュースという名前ですが、桃栗さん曰く、「鼻ペンは私の方が先輩なんだよ!」っていうことで、「記事書かせろ!」って言われて、書いてもらっていたのが、以下の記事です。

桃栗たき子氏の記事「帰ってきた桃栗たき子」一覧

【だれこのババア】桃栗たき子って何者なの?
https://hanapen.news/2019/07/27/momokuri-prof/

・【いきなり!?】なんだかよくわからないけど、非常識で声と体のでかいおばさん が、ある日突然ハナペンニ ュースにやってきたYO!
https://hanapen.news/2019/07/27/momokuri0/

【帰ってきた桃栗】昔のデータを漁ってノスタルジアを味わう午後……そしてヒミツのアレも見せちゃうわ〜★
https://hanapen.news/2019/09/26/momokuri-1/

 その後、彼女の仕事が忙しくなってしまい、PCエンジンminiの発売の時に「帰ってきたPCエンジン通信」とか、ガジェット好きだったのでMacの話とかiPhoneの修理の話とか、SNSで出会ったすごいお金持ちの話とか、いろいろ書いてもらう予定だったのですが、書いていただけなかったのはとても残念です…。

桃栗さんの逝去の前後に起きた不思議な出来事

 この記事を書きながら、桃栗たき子さんのtwitterを見に行ったら、なんと逝去後にもご家族が投稿をされていました。

 自分も、元ファミ通の知人から「お互いに死んだら電気を着けたり、消したりしよう」って約束していたことを聞いていました。きっと桃栗さんが、残された人たちに何かを伝えようとしたんだな、と思わずにはいられません。

 こうした出来事は、桃栗さんの死を悲しむだけではなく、彼女がしていたことやしようとしていたこと、彼女が何を大事に思っていたののかというようなことに、思いを巡らすことの方がより有意義で、彼女もそれを望んでいるのでは? と思うきっかけを、彼女が残された人たちのために作ってくれているような気がします。

 また、不思議なことに、筆者も、ずいぶん前に収録をしていた動画をたまたま昨日チェックしている時に、自分は桃栗さんの訃報を伝え聞きました。その動画では、たまたま自分が桃栗さんの話をしている動画だったんです。これも、もしかしたら、虫の…というよりも、桃栗さんがが何かを知らせようとしてくれたのでは?  と思わずいられません。

 ちなみにその動画はこちらです。

縁側 de ゲーム業界で最初にしたお仕事【縁側 de トーク [10]】(YouTube)
https://youtu.be/LMrUOVt5IyU

 不思議なことに、この動画の公開後、音楽家の矢内景子さんから連絡があって…

 なぜか動画のサムネイルが変わってしまうという事態が発生!! 変更した覚えがないので、これも筆者の中では桃栗さんの仕業説が最有力です。

 しかも、そのサムネ画像は

縁側 de ゲーム業界で最初にしたお仕事【縁側 de トーク [10]】

「そんなない」っていうシーンを抜き出したものに、変わっていました。もちろん、操作ミスかもしれないし、意図せず入れ替わったのかもしれませんが、何かの不思議な力が働いたとしか自分には思えませんでした…。

元ファミ通編集者やファミ通読者たちの反応…

 映画「ボヘミアンラプソディ」をみんなで見に行った時は、桃栗さんが全員分のフレディのお面を作って、持って来てくれました。

 ファミ通の読者だった方々や『RPGツクール』の攻略本やサンプルゲームの話題を語る人が多いでが、みなさん、桃栗さんの早すぎる死を悼んでいます。

(さらに追記:2021/11/02)

 とても個人的なことを言うと、ファミ通から離れた後、日本に帰って来てしばらく経った後、一時期彼女の自宅が編集部から近かったことがあり、たまに遊びに行ったりしていました。(と書くと怪しまれそうですが、そういうことは一切なくて、当時彼女にはちゃんとつき合っている方がいて、その方とも自分は知り合いで、両方からいろいろと相談をされることが多かったんです…)

 その後、しばらくは音信不通になりましたが、数年前からまたちょくちょくLINEに連絡をくれるようになり、自分が独立した時にはとても励ましてくれたり、応援してくれていました。その頃に、銀座で久しぶりに会って、お茶を飲んだ後、銀座のど真ん中で、衆人環視の中おじさんとおばさんがなぜか鼻にペンを挿して記念撮影をするというような事態にまで発展してしまい、本当に感謝しています。あれ? 

 振り返ると、自分がファミ通に入った時に、すぐに話しかけてくれて、当時彼女が担当していた読者ページ「LETTERS伝言板」宛に届いた読者からのおたよりに「●●な編集者」という返事を書いたのが、自分がファミ通に入って初めて誌面に載った原稿でした。そして、自分より年下なのにこんなすごい才能を持っていて、おまけにかわいくて、しかもちょっとエッチ(というか下ネタもOK! みたいな…)という、当時のファミ通編集部の中でもとても目立っていた存在で、人気者でした。そんな彼女に自分は衝撃を受けましたが、その後の電撃結婚、ハワイ移住にも驚かされました。その後もいろんなことがあったようですが(アスキーという会社にもいろいろあったw)、でも、いつも、とても彼女らしい自由な生き方をされていたんじゃないかなあ と思います。

 その後も、リンクを貼った記事の中身を見てもらえれば、わかえるように、「おもしろくないとイヤ!」みたいな精神をブレずに持ち続けていて、まさにあの頃のファミ通マインド(「すべての記事は面白くなければならない!」)を失わずにキープというか、自然に彼女の中には存在しているというような、魅力的かつエネルギッシュな人でした(このあたりの話は「1989年のファミコン通信」(ファミ通BOOKS/田原誠司 著)という本に詳しく書かれている、んじゃないかな、と思います)。

「1989年のファミコン通信」 (Amazon商品ページ)
https://www.amazon.co.jp/dp/4047291242/ref=cm_sw_r_tw_dp_JRF9FV2NEDDCW5ENJZTB

 そして何よりも、すべての物事に対してオープン、いやフルオープン! 全開的にド正直な人でした。たぶんだからエッチな話とかも結果的にOK! ってなるんだけど、エッチなわけではなくて、基本的には何も隠したりしない人でした。素直なきれいな心の持ち主でした。自分にも他人にも、また仕事にも、ヘンな枠をあてはめたり、決めつけたりせず、自由に見たり、考えたりできる、そのことが彼女の武器であり、魅力だったのではないかな、と思います。

 多くの方々が哀悼の意を表し、彼女が残したもの、残してくれたものに感謝を述べられている様子をみて、きっと彼女もその点に関してはよかったと思っていると自分は思います。

 本当に残念でなりませんが、改めて桃栗たき子さんのご冥福をお祈り申し上げます。